自分の生きる道をみつけて、念願の専門学校に入学。

こんにちは
早朝のワン散歩は行けたけど
今日は予報通りに朝から雨
なのに鼻水とくしゃみが. . . (;;)
なんとも憂鬱な時期だ

先日のブログでは大学生活を書いたけど
今日は、ほんまに行きたかった専門学校の話

中学生の時に何かしら商売をやりたいと
漠然に思とったんやけど
それが高校生の時に”メガネ”かな?
と思うようになり始めて
大学生活の間にメガネの専門学校に行きたい!
と完全に進路を決めたんや

何でメガネになったんか?
自分がメガネが好きやったんと
親父の背中見とったけんやろな

桜の花咲く頃に念願の吹田市のメガネ学校に入って
大阪の山手になる箕面市の大阪外語大近くの
ワンルームマンションで生活スタートや
部屋に暖房器具が無かったけん
4月でも夜は寒かったんを覚えとるな

メガネ学校の学生は
メガネ屋で修行の為にアルバイトしとる連中が
ほとんどなんやけど
僕は兄貴が世話になっとった人が
独立するけん手伝うてくれんかってお誘いがあって
入学間もなくなくから新店舗オープンの
手伝いを始めたんや

作業するんが十三の店長の自宅やったけん
学校が終ったら十三に行く回数が増えてな
自室に戻る事があんまりなしになってしもて

ほんで、新店舗の二階に住み込む事にしたんや
修行として入るけんバイト代は無し
その代わりに家賃無し、食事付き
小遣いを月に3万円

貧乏学生やったけど
メガネ学校はおもっしょかったし
それまでの学生生活のどの時よりも
真剣に本気で勉強したわ!

友達もええ奴ばっかりやったしな

ほんでもな、ある時
高校の時の友達から連絡があって
転職で引越しする事になったけん
浜松から大阪への引越しを手伝うてくれって
頼まれて、そいつと久しぶりに会うたんやけど

友達は社会人として
バリバリ仕事しとったけん学生の僕とは
話の内容が違うわけや
こん時は遅れをとったなぁって感じて
ちょっと悲しかったな

今思たら2年の遅れやかし
大差ないんやけどな

メガネ学校では当然やけど
眼の仕組みから光学理論、眼鏡学、加工などなど

やること満載で覚えるんが大変やった

加工実習は当時ガラスレンズしか触らせて
くれんかったんやけど
そのせいで加工机の上はガラスの破片がイッパイ
机に手を着こうもんなら破片が刺さるのが当たり前

1年生の時にかなりのとこまで
知識を詰め込んで
2年生になったら夏休み返上で
病院研修に入るんやな

3ヶ月で3つの病院を経験するんや
どの病院でもやることは
患者さんの眼の度数を測る事が中心で
その合間を縫うように先生の治療を
見学しもって色んなことを教えてもらうんや

手術にも立ち会わせてもらえるんやけど
先生の横で顕微鏡を覗かせてもろて
手術の最初から最後までを全部見せてもろて
ええ経験が出来たわ

こうやってメガネを作る為の
様々な知識を習得するわけや

みんな病院研修は緊張するけん
痩せてしまうんやけど
僕は太りました(^^)人生初の60kg
ただ一人太りました

病院研修が終ったら
また学校で通常授業を受けて
今度は冬に
眼鏡店実習を約3ヶ月

現場経験をするわけやな
私は現在、メガネ学校の校長を勤めとる
池田市の辻先生の店で実習を受けたんや
実習中にお客さんのメガネを焦がして
迷惑かけた苦い経験をしたわ

先生の検査技術の高さを見せてもろたり
実習の最後に先生のお父様のメガネを
作らせてもろたりして
楽しい経験を積ませてもろた

昼の休憩で食べるもんは
毎日おんなじ店ですうどんと卵丼
貧乏学生には質より量やったな(^^)

そんなこんなで
卒業論文と卒業試験、それと眼鏡士試験を
無事に終えて念願の認定眼鏡士になれたんです

2年間の学生生活の中で
僕の人生を変える事になる出来事は
女房との恋愛

学校の性質上、生徒同士の恋愛は
学校もかなり警戒しとったみたい
なんせ跡取りが就学しとる可能性が高いけん
揉め事になる可能性も高いやん
ほんでも僕と女房はコソコソ隠れて
先生達に気付かれることなしに
付き合いしとってな
結果として讃岐の人間が
今こうして三河で商売しとるわけや

悩みに悩んで香川を離れるときめて
親父とおふくろに報告した時に言われたんは

”分かった。お前がそう決めたんやったらそれでええ”
”男やったら一旗上げて来い!”
一生忘れることが出来ん言葉になってしもた

以上で私が三河に来るまでの
経緯?生い立ち?(どっちでもええけど)
の一部始終でした。
ちゃんちゃん